A. 人生は脆いものである。 ヤコブはこう書いています(4:13-14a)。「さあ、よく聞きなさい。『今日か明日、どこどこの町へ行って、そこで一年間過ごし、商売をして利益を上げよう』と言う人たちよ。しかし、あなたがたは明日のことさえ分からないのです。」あるいは、「明日何が起こるか分からない」とも読めます。私たちは明日や来年のことどころか、10分後に何が起こるかさえ分からないのです!これらの商人たちは、自分が明日目を覚ますこと、無事にその町へ着くこと、1年以内に事業が成功すること、そして誰にもその収入を奪われないことを、高慢にも当然のことと思い込んでいました。彼らは、自分には何のコントロールもできず、何の保証もない未知の未来について、これらすべてを勝手に決め込んでいたのです!先ほども申し上げた通り、私たちの中で最も健康な若者であっても、日が暮れる頃には命を落としているかもしれません。死に至る道はあまりにも多く、思いがけない形で訪れることもあるのです!かつて私は、ある11歳の少女の葬儀を執り行ったことがあります。彼女は母親に頭痛を訴え、横になるよう言われて休んでいましたが、そのまま脳動脈瘤(りゅう)で亡くなってしまいました。また、ある若い夫婦のことも知っています。彼らは週末旅行に出かけましたが、宿泊先のモーテルで夫がホットタブから出ようとした際、めまいを起こして転倒し、プールの縁で頭を打ちました。彼はそのまま意識が戻ることはありませんでした。数年前のある日曜日の午後、この教会に通っていた30代前半の男性が雪かきをしていました。奥さんが窓から外を見ると、彼は地面に倒れており、心臓発作で亡くなっていたのです。
C. 死は避けられないものです。 死に関する統計は実に衝撃的です。「100パーセントの人が死ぬ」のですから。死は単なる可能性ではなく、絶対に避けられないことであり、いつ訪れるかわかりません。そして誰もが神の前に立ち、裁きを受けなければなりません。それなのに、誰もが神との正しい関係を築く方法を必死に求めようとするかといえば、そうではありません。不思議なことに、人々はそのことを心から締め出し、まるで永遠に生きるかのように日々の生活を続けているのです。ハリケーン・カトリーナの惨事をテレビで目にし、水面に浮かぶ遺体を見て信じられない思いで首を振ったとしても、神の前にひれ伏して罪を悔い改めることなく、そのまま日常の生活へと出て行ってしまうのです!本当に驚くべきことです。